voiceセッション体験談
体験談の内容は、
随時違うものを掲載していきますので楽しみに読んで頂ければ嬉しいです。
- 年齢退行
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和のやすらぎ枝を知ったのはあるセミナーでした。
潜在意識・記憶・脳の仕組みなどの話を聞いているうちに何か心を揺さぶるものを感じました。講師の大塚先生のお話を聞きながら、涙が溢れ不思議な感情が浮かび上がってきました。
この感情は何だろう?こころの奥底に眠っている何かが浮かんでくる気持ちでした。
実は、私は大学時代「心理学」を選考していました。学問の話ばかりで、こころとの関連性を見いだせないまま単位だけは取りました。
潜在意識の深いところに記憶や感情が眠っている。見えてない部分に本当の解決策がある。
それを学ぶことはありませんでした。実は、幼いころ、母が鬱が原因で神様の元に旅立ちました。
いつも、いつも母が泣いている姿を見ていました。幼い私は、その意味も分からず、ただその姿を見るのが辛くそんな母を可哀そうだと思う反面、母に対して嫌悪感も同時に感じていました。
学校時代は余り友達もいなく一人でいるのが好きな子どもでした。
仲良くなると、親しくなると、人は死んでしまう。何故かそれが怖くて一人でいる時間を多く持つようになりました。
セッションを受けたい、もしかしたら楽になれるかもしれない。記憶の中に閉じ込めた感情を探してみたい・そんな気持ちからセッションを申し込みました。
セッション中は、覚えてない記憶までが浮かび上がり、亡き母の想いも感じることができました。涙が溢れ、閉じ込めて生きてきた自分と向き合うことができ、母の愛をしっかりと感じることができました。そして、死というものが怖くなくなり少しずつですが、人との関りも上手くできるようになりました。
あの時、セミナーに参加していなかったら今の私はこの世にいなかったかもしれません。
母と同じ死を選んだ人生だったかもしれません。 ヒプノセラピーに出会えたことに感謝いたします。 - 前世療法
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生まれ変わりについて興味があった。類書をたくさん読んできた。その中にブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』があった。二〇一五年四月にそのブライアン・L・ワイス博士が来日し、講演会を聞きにいった。感銘を受けた。さらに前世への興味が深まっていった。きっと彰悟と私の関係も、前世に関係する何かがあるのだろうと、漠然とした思いを抱えていた。
地元福岡で前世療法をやっているカウンセリングルームを知り、行ってみることにした。そこの代表・大塚智惠さんは渡米してブライアン・L・ワイス博士に前世療法のプロトレーニングを受けたという。
二〇一五年四月末、予約してそのカウンセリングルームを訪れた。最初は一時間のオリエンテーションを受けた。
前世療法とは「前世であなたは誰でした」などと言われるようなものではない。催眠状態に誘導されることで、過去をつぶさに思い出し、次第に遠い過去へと遡り、自分がどんな体験をしていたのか、何が気になっているのかなどを思い出していく。その記憶を通して、今生何のために生まれてきたのか、今生で何をしなければならないのか、今の人間関係が前世とどう繋がっていたのかなどを自分で探っていく。
私たちの潜在意識の中には、原始意識=前世意識が眠っているという。誰しもが持つその記憶を紐解き、自分で何かに気づいていくのが前世療法だという。
セッションは二時間。リラックスして催眠状態となり、自分の内面から湧き出てくるものを言葉にしてセラピストに伝えていく。
最初に目に浮かんだ風景は、ヤギが草を食んでいた山の上の草原。私は十二歳の少年で、その風景をぼーっと眺めていた。 時代と国は一八〇〇年代半ばのイギリス。
その後、セラピストの誘導に従い、 一歳のころから八〇歳で亡くなるまでの人生を早回しで見ていく。
その人生で私に一番大きな影響を与えてくれたのは父だった。
ハンサムで優しくて素晴らしい父で、息子である私が自分らしく生き、思うような人生を過ごして欲しいと願っている。私のことを愛しいて、私も父が大好きだった。
その前世での父が、今の息子・彰悟だった。
前世での私には少年時代に辛い時期があったが、父が大きな愛で包んでくれて立ち直ることができた。生涯独身だったので、次の人生では父のように親として愛を実践し、その愛を広めていきたいと思っていた。
今の人生で息子である彰悟が私の元に生まれて来た理由は、その愛の記憶を蘇らせるためだったようだ。
彰悟は前世でも心から尊敬する人物であり、深い繋がりのあるソウルメイト。
今の人生も計画通り、順調に行っているんだと確信が持てた。
田中伸一 「お父さん気づいたね」著者
声を失くしたダウン症の息子から教わったこと